10月のページ

名前入りバラ。
確かにバラの花びらに、サンキュー・ミスター三枝と入っている。
生花である。
名前入りのメロンやリンゴもあったけれど、
世の中いろんな事を考える人がいます。
これが儲かるかどうかは分からないけれど、貰った私はとても感激した。
自分の名前の入った花なんて、ただ枯れるまでの命だけれど
今月のHPはずいぶん遅れてしまった。
申し訳ありません。
9月の中頃から終わりにかけて移動するだけで大変で、
HPにかかっている時間がありませんでした。

出雲大社参集殿での落語会。
宗教と落語との結びつきは深く、落語の祖と言われる安楽庵策伝は岐阜の浄音寺で得度し、その後京都の誓願寺で法主となる。
策伝は若き日、宗教活動をする時に、難しい話だけではなく笑い話を交えて分かりやすく仏の道を説いた。そのおもしろい話を集めたもの、自作や他作や、それが落語の元になったと言われる「醒睡笑」。
弥生時代からあるという出雲大社でも、盛んに芸の奉納が行われたという。
落語に残る
「高座」「1席」「曼陀羅」(手ぬぐいのこと)は
宗教用語から来ていると言われる。
こういうところで落語をすると厳かな気分になる。
聞く方もなんか笑えない気持ちかなと思いきや
なんか神さんの前では気持ちが安らぐのか、いつもより良い感じだった。
大爆笑と言っていいだろう。

何人入ったのかなぁ・・・・
いつもの落語会と違ったのは客席の後は、
つまりお客様の背中の方の最後の列は
いつもの劇場なら扉が閉まっているのに
この時は開放されたまま、それどころか大きな賽銭箱が入り口においてあり
参拝客が私の方に向けて手を合わせ
賽銭を入れている。
遙か後方でそんなことが行われているのを見ながら
落語をしたのは初めて
始めた頃はまわりも明るく、舞台で上手側を向くと
車が走っているのが見えた。 本来ならずいぶんと条件の悪いところだが
お客様がすこぶるよく
まわりが見えることや
柏手を打つ音も、気にならなかった。
本来どんな条件のところでもするのが大衆芸能の落語家の務め。
もちろん劇場では細かく
音チェックや音響チェックは行いますが
時と場合
臨機応変にお客さんと対峙するのが落語家と心得ております。

今度出来る寄席も
「天満宮」の裏。
神様はひょっとして笑いが好きなのかも。
天照大神の話を引き合いに出すまでもなくやはり、 楽しく時を過ごすことを神さんや仏さんが嫌う訳がない。
毎年「生國魂神社」の境内で行われる「彦八まつり」
生國魂の境内は落語家の始まりと言われる「米沢彦八」が人気を集めたところ。
昔は今よりずっと信仰心が強く
五穀豊穣は深刻な願いだったからか
生活が信仰と密接につながっていたから
多くの人が集まり、 人が集まるところでお金儲けが行われ
その中に、投げ銭を目当てにする落語家が出てきたという訳。
昔の落語家は考えられないくらい条件の悪い中で喋っていた訳だから
大したものだと思う。
行き交う人に話しかけ、笑いを取るなんて
考えられない。
技術的にはきっとすごく進歩していたと思う。
それが小屋掛けになり、寄席となり、ホールと
なりマイクが出来、スピーカーがよくなり
我々の芸は進化はしたけれど、 進歩したとは思えない。
もっと、勉強しなければと、近頃、先人を思うたびに
強く、心に誓うのです。

それにしても旅が多い毎日です。
もちろん昔の芸人の旅の大変さには比べものにはならないが
移動の距離は昔の何百倍だろう。
1日のうちに北海道へ行って帰ってきて、なんて
昔ならゆうに、二ヶ月くらいかかったに違いない。
うれしいような辛いような複雑な気持ち。
大好きだった鳳啓助師匠は子供の頃から芝居の一座に入り旅又旅だったという。
こんな事をおっしゃったことがあった。
「汽車の窓の景色が友達だった」
車窓の外を見ていると師匠の言葉を思い出し
ウルウルすることがある。
ウルルン紀行ってところかなぁ。

ある時は
明石海峡大橋を渡り
島影を見ながら、この時は高松に行ったのかなぁ・・・
起きていれば思い出したようにデジカメのシャッターを押す。
船が好きだから
子供の頃から大阪の海のそばで育ち
大きな船やら小さい船を見て育った。
船は子供に大きな夢を抱かせた。
想像の中でいろんなところへ連れて行ってくれる「夢の乗り物」だった。

今も時々操縦する。
海や川は煩わしいことを忘れさせてくれる。
大阪の下町で育ったからだろうか、
大正区にいた頃川を行き交う筏や
筏を引っ張る船を沢山見た。
船に住んでいる友達もいた。

まわりはこんな風景だった。
この川を行けばいろんなところにゆける
だから今もそんな気持ちは変わらない
そのうち、きっと良い流れになるだろう。
いまもって
あまり考え込んだり
思い悩んだりしないのは
川を見て育ったせいだと思う。
くよくよしても始まらない。
イヤなことは波が運んでいってくれるし
そのうち良いことをきっと
波が運んでくるに違いないと
だから、時々船に乗って川に出る。
船から見る大阪の街。
昔、戦国時代
日本に来た宣教師が、まだキリスト教が禁止されていない時に
大阪の川を船で案内して貰った際
その景色のすばらしさに感動したそうだ。
大阪の街もすばらしい。
大阪の象徴が通天閣

通天閣のビリケンさんを渋谷の大阪博覧会に送る日
通天閣に行った。
昭和の初め
大歓楽街だった
新世界。
遊興の名残が今も残っている。
今、通天閣界隈は若い観光客でにぎわっている。
昔とは少し違ってきた。

こんな格好で歩いていたら
「写真撮ってください」
と観光客に頼まれた。
こんな格好では目立ちますわなぁ。
でも
なんとなくこんな格好で歩きたくなる街新世界。
おそらく坂田三吉もこんな格好で歩いたに違いないと
勝手に思って三枝も歩いてみたのです。

そしてビリケンさんに航空チケットを渡して
ここらが大阪らしい
このビリケンさんはアメリカの女流画家が夢に出てきた神様を
絵にしたものを木造にしたもの。
長年通天閣にまつられてきた。
残念ながら大きな航空チケットで見えていないが
足の裏をさすってお願いすると霊験あらたかで
木の足の裏は人々の願いですり減っている
門外不出のビリケンさんが初めて通天閣を出る日
こうして立会った。

そして
ビリケンさんがいない間
忠犬ハチ公のレプリカが
レプリカと言ってもご覧のように大きなもの
でも動かすととても軽かった
このハチ公は慣れない大阪弁を連日聞いてストレスがたまったことだろう。

大阪の大正区で育ったことは
前に述べましたが
大正区の新千歳町はとくに沖縄出身の多いところでした。
だから沖縄に行くと心が安らぐんです。
9月、あちらこちらした極めつけは沖縄でした。

沖縄での落語会
独演会はおそらく初めてだったんじゃないだろうか
今回
一部では沖縄の舞踏もあったので
それを聞いてなんだかさんしんをひきたくなって挑戦しました。

若い先生から
筋が良いと褒められました。
みんなうまく言う
本格的に習おうかなぁ・・・・とその時思ったけれど
なかなか難しい
そうは簡単にひけない

けっこうイケメンの先生
右の後ろ姿は弟子の三若
彼ははっきし言って下手だった。
やっぱり次はさんしん買おうかなぁ。
昔尺八を稽古しようと思って買ったのも
いまどこにあるか分からないし
スチールギターもそう
やっぱしやめとこうかなぁ・・・・。
てなわけで超忙しかった9月、特に10月にかけて
来月のHPはもっと早くに更新しますね。

最後に馬越マネージャーです。
「みなさん、季節の変わり目です。風邪などひかないようにお気をつけてください。ここのところ落語ブームで落語の仕事が増え、今までの仕事をこなした上での各地の落語会ですから移動は大変です。風邪など引いていられないといった感じですね。その過酷なスケジュールによく三枝は耐えて、もちろんそんな過密な移動に愚痴ひとつこぼさず、4月から、落語の定席建設まではと願をかけて断ったお酒のおかげで体調もよく、起きている間は全て落語にかけているといった気迫さえ感じます。乗りに乗る三枝落語は数が増える分だけ覚えるのも大変みたいで、移動中も稽古しているか、寝ているか、寝ている方が多いでしょうか、とにかく大変な9月でした。でもこれはまだまだ続きそうです。どうか皆様、三枝を見に来てください。元気が出ること間違いありませんよー」

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